レジェンド、再び立ち上がる
2025年6月、アルゼンチン・ブエノスアイレス。
42歳のノニト・ドネアが、約1年10か月ぶりに復帰戦を迎えた。
WBA世界バンタム級暫定王座決定戦でアンドレス・カンポスに負傷判定勝利。
43歳を目前にしてもなお、驚異的な身体能力と反射能力を見せた。
しかし、12月の堤聖也との王座統一戦では1-2の判定負け。
試合後の会見でドネアは「4本の指すべてが傷つき、血マメが割れた」と語り、拳の深刻な損傷を明らかにした。
この「拳の血マメ」は、単なる表層の外傷にとどまらず、反復的な衝撃負荷による軟部組織損傷(soft tissue injury)の典型例である。
ボクサーの拳に起きる組織損傷のメカニズム
ボクシングのパンチ動作では、拳頭部(metacarpal head)に毎秒数百ニュートン単位の衝撃力が集中する。
拳を握る際、皮膚・脂肪層・筋膜・腱膜・腱・骨膜に対して剪断応力と圧縮応力が繰り返しかかり、毛細血管群が微細に損傷する。
この微小損傷により、皮膚直下に血液や漿液が貯留して血疱(血マメ)が形成される。
通常、表皮が維持されていれば自然治癒するが、ドネアのように試合中に「割れる」と、真皮層が露出した開放性損傷となる。
この状態では感染リスクが高まり、炎症性サイトカイン(IL-6、TNF-αなど)の局所増加により、疼痛と浮腫が顕著に生じる。
特に、加齢に伴い皮膚弾性線維(コラーゲン・エラスチン)が低下すると、こうした剪断応力に対する耐性が低下し、血疱形成後の創治癒も遅延しやすい。
ドネアの年齢的条件は、まさにその典型的要因であったと考えられる。
急性期における生理的評価と対応(柔道整復師・トレーナー視点)
急性期では、受傷部の組織出血と炎症性浮腫が進行する。柔道整復師やトレーナーは以下の評価と初期対応を行うことが求められる。
- 視診・触診:発赤、膨隆、びらん、滲出液の有無、疼痛反応の範囲を確認する。
- 圧痛と熱感の確認:浅層性か深部組織まで波及しているかを判断。
- RICE処置:
- Rest(安静): 握る動作を完全制限。
- Ice(冷却): 15〜20分間隔で冷却。
- Compression(圧迫): 軽度の弾性包帯で血腫拡大を防止。
- Elevation(挙上): 心臓より高い位置で静脈還流促進。
- 感染防止処置:出血がある場合は滅菌ガーゼで覆い、医療機関との連携をとる。
ここで重要なのは、過度な圧迫や冷却による二次的組織虚血を防ぐこと。
また、拳の場合は骨折(Boxer’s fracture:第5中手骨頸部骨折)との鑑別も念頭に置き、必要に応じて整形外科受診を促す判断力が求められる。
回復期の物理療法:組織修復を促す介入
炎症期(0〜72時間)を過ぎると、線維芽細胞が活性化し肉芽形成期に移行する。
ここで適切に血流を促進し、瘢痕化を最小限に抑えることが重要となる。
柔道整復師が行える物理療法として、以下の選択肢がある。
- 超音波療法(1〜3MHz):微細振動による深部温熱効果で、毛細血管再生および膠原線維の配向を促す。
- 低周波治療/干渉波治療:筋緊張緩和と疼痛抑制。特に前腕伸筋群・屈筋群のリラクゼーションは有効。
- 温熱療法(ホットパック・赤外線):炎症が鎮静後に適応。瘢痕組織の伸張性を改善し、拘縮を予防する。
これらはすべて「生理的治癒過程(inflammatory → proliferative → remodeling)」を支援するものであり、自然治癒力を最大限引き出す助けとなる。
同時に、感染兆候(発熱・膿性滲出など)が見られる場合は速やかに医療機関へ紹介する。
慢性期・リコンディショニング期:競技復帰を見据えた段階的リハビリ
ドネアのような熟練アスリートでは、単に創傷を治すだけでなく、「パンチ動作の再獲得」が最終目標となる。
以下の段階アプローチが推奨される。
- 完全休養期(創傷治癒期)
組織再生を妨げる握り込み動作や接触ストレスを完全除去。 - 可動域・知覚回復期
指・手首の自動運動、手指の伸展・屈曲ストレッチ、瘢痕部の軽いマッサージを導入。感覚神経再教育も意識する。 - 非荷重負荷期
握力ボールやエクササイズパテを用いた低負荷トレーニングで神経—筋の協調性を再構築。前腕筋群の筋持久力を回復させる。 - 荷重導入期・打撃再開期
ハンドラップの形状・フィット感の再検討と、軽いミット打ちから再導入。疼痛閾値を指標に漸進的負荷を掛けていく。 - スパーリング復帰期
複合動作(パンチ+ステップ)におけるキネティックチェーンの再統合を図る。手関節・肩甲骨・体幹の連動を最適化し、衝撃分散を高める。
このプロセスでは、「物理的治癒」だけでなく、中枢神経的な動作再学習(motor relearning)の観点も不可欠である。
装備・フォーム・加齢——再発予防の三要因
今回の損傷を踏まえ、ドネア陣営が見直すべきは以下の3要素である。
- 装備要因: グローブのパッド密度・ハンドラップの素材を再評価。圧分散技術を考慮する。
- フォーム要因: 拳の当て所(第一・第二中手骨頭の軌道角度)を修正し、衝撃線を手関節軸に通す。
- 生理的要因: 加齢による結合組織弾力の減退と回復遅延を想定し、トレーニング—休養サイクルを再設計する。
スポーツ医学的には、構造的負担(structural load)と機能的回復力(functional recovery)のバランス調整が鍵を握る。
結語:43歳の拳が示す「回復の科学」
ドネアの拳に刻まれた新たな傷は、栄光への代償であり、同時にスポーツ医学の教材でもある。
彼のケースは、「競技復帰に最適化した創傷管理と段階的リハビリ」の重要性を再確認させるものだ。
彼自身が語ったように、「またリングに戻りたい気持ちがあるなら戻る」という言葉は、回復の科学と心理的レジリエンスの融合でもある。
柔道整復師・スポーツトレーナーとして私たちが学ぶべきは、“治すこと”の先にある、機能を再構築する臨床思考だ。
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